席を譲らなかった若者

電車の中で席に座った茶髪の若者の前でハイキング帰りらしい初老の3人組が嫌みを言っていると、若者が言ったらしい。

あんたたちさぁ、山は歩けるのに電車では立てないの? それっておかしくない? 遊んできたんだろ? こっちはこれから仕事に行くところなんだよ。だいたいさぁ、俺みたいなヤツが土曜日も働いてあんたたちの年金を作ってやってるんだって分かってる? 俺があんたみたいなジジイになったら年金なんてもらえなくて、優雅に山登りなんてやっていられないんだよ。とにかく座りたかったらシルバーシートに行けよ

ちょっとした出来心で見ず知らずの人に嫌みを言うという不道徳な行いをした報いに、こんな“ど真ん中”の反論をされて凹んでしまった老人もちょっと哀れだが、この若者のセリフは正論だと思う。
ただ、このシチュエーションで年金の話を持ってくるのはちとズルい気もするが、短絡思考で嫌みを言い続ける老人もズルい。どっちの方がズルいかといえば、私は老人の方だと思うが、結局はズルい攻撃にズルい手段で対抗したって事になるのかな。

同じ記事の2005年04月26日 04:09のコメントにこんなエピソードがあった。

バスに乗っていたらいきなり「のいて」といわれて「私心臓病を持っているので・・・」というと「私なんて年寄りの上に間接も悪いねんで!」「心臓病の1個くらいで」「今の子は甘えてるから病気とかなるんや、立って体力付け!!」と怒られたこともあります

歳を取って体が衰えている人に、若くて体力がある人が席を譲るのは当然かもしれない。しかし、元気に趣味に興じている年配者に仕事で疲れている若年者が席を譲らなくてはならない理由はどこにあるのだろう?
もともと、「お年寄りに席を譲りましょう」(=お年寄りをいたわりましょう)という考え方は、持てるものと持たざるものが平等であろうとする考え方から来ていると思う。しかし、ここでのポイントは何をもって平等とするかだ。
社会的スローガンをシンプルにし過ぎた副作用で、ものの見方が狭く固定されてしまい、思考停止が起こったのではないだろうか。